帰省

10/8体育の日、私は羽田より故郷佐賀に向かっていました。明日と明後日、父の県の病院に付き添いでした。
10/9火曜日 父を連れて、呼吸器内科に。先月とったCTの内容を見て、肺がんの疑いありとのことで、その日は腫瘍マーカー血液検査実施。この結果をもって、明日、循環器科へ。
10/10水曜日 朝イチで呼吸器内科へ。そもそも、かかりつけ医より心電図と左脚ブロックがでているので気になる。紹介するから連携している県病院へ行ってくれと。それが10月の一週目だったとのこと。その時に造影剤は使わないCTを撮った。それで発見されたのが、肺がんと腹部動脈瘤狭心症疑い。前日の腫瘍マーカー、やはり肺がんでした。ステージ?。右肺裏、背中側に6センチ。手術は無理で、今後外来投薬治療になるとのこと。いい加減な親父殿は、手術がないことを喜び、薬を飲めばいいんだと楽観的。何度行っても理解できない。年齢的に理解の飛躍度が高い(笑) まあいいか。とにかくきちんと先生の話をメモし、自宅でもう一度おさらいして清書。弟らには、LINEでさくっと送る。 
 午後は、この結果をもって循環器科へ。呼吸器内科のDr.との話をし、腹部大動脈瘤の手術をするにも、心臓が耐えられるか、造影剤投与で問題ないかを、入院して検査しましょうとのことで、さっさと決めて、翌週月曜から二泊三日とした。
10/11-14 ここで帰っても仕方がないから、そのまま実家に。仕事は休みにした。
10/15月〜17水 二泊三日の検査入院。この時よくわかった。81歳、耳も職業病で遠くなってしまった。高齢者特有の記憶力も怪しい。若い人達が話す言葉のスピードについてゆくことができない。何いってるか聞き取りにくいし、わからない。なので、入院手続き〜部屋に入って、看護士さん、栄養士さん、麻酔科の先生が次から次にきて、状況などの質問。でもやっぱり聞き取れない。すみません、皆さま、高齢者にはもっとゆっくりと話をしてくれないと、聞き取れないよ〜と言いそうになった。この時に、やっぱり付き添ってきてよかったと思った。
16日に検査、心臓カテーテル検査で造影剤投与もするとのことで、検査室の外でまっておく必要があるとのこと。親父殿頑張りました。てか、全くもって全然平気な顔。結果心臓はOK、血管も細いところがなく、心筋梗塞もないとのこと。手術可能となりました。
17日は、前日夜に弟が明石から来てくれて、当日先生の話を聞いてくれた。次は、腹部動脈瘤の手術入院で、10/23火曜に今度は、心臓血管外科だ。親父殿体力あるわ〜
20日 一旦、私は東京に戻りました。仕事を片付けて、今後の段取りを考えました。
10/23火曜日 心臓血管外科へ この人弟がまた明石から来てくれて、夜に帰りました。11/16に入院、19日に手術、7〜10日で退院OKとのこと。私は入院、手術の時は、弟が対応してくれ、私は、弟がかえり、退院〜一週間程度は自宅で様子をみようかと思い、休みを入れました。

10月でばたばたといろいろと決めてあげてすすめました。Dr.らは、あまりの早い進め方に(@_@)びっくりされておられました(笑) 田舎なんでみんなのんびりだらだらというのが多いとのことです。家族がある程度進めないと、やっぱり無理だと思いました。
幸い、父は、痛くもかゆくもないらしく、毎日ビールと刺身で団らんでした(笑) これからいろいろあるとおもうので、私が東京に戻る直前まで、地域包括センターやがん支援相談センターにいって相談、資料収集してました。

11月中旬まで、少しのんびりしてもらいたいですね。いつもと変わらない生活をしてもらっていればよいかと思います。