結局、『ひと』

 40代から上の年齢の人たちは、パソコンがない時代で仕事をしてきた人たち。もちろん携帯電話すらない。待ち合わせですれ違ったら最後。駅の伝言板に残すくらいしか手段がなかった時代。あの頃からすれば、今はなんでもそのときに連絡がとれ、口ではいえないこともメールで文字にすればいい時代。異性への告白も、プロポーズもメールとな。便利になった分、なくなったものと言うより、失くしたものは大きいと感じます。
 人間が人間らしからぬ時代になった故の、仕事上でのトラブルや精神面での弱さの露呈は急激に増え続けているように思えます。私たちの仕事は、新しいものを作り出すことだったのか?と。温故知新。古き良き時代をしのぶだけではもはやどうにもならない時代だともいえましょう。
 私がいるIT業界は、最先端をいっているように思えますが、一番の問題は何かというと、人間同士の関係です。どの会社でもおなじようなことは日常茶飯事でしょう。ですが、私たちの業界で新しいものを生み出し、世の中で『便利』『楽しい』といわれるためには、ネゴシエーションとコミュニケーションの複雑さを克服してはじめて生まれ得るものなのです。その人の問題が、もはやどうにもならないレベルにきはじめているのは事実。
 どこぞやのコンサルが、偉そうにいうほど、マネジメントやらコミュニケーションやらというのは、論理だけではどうにもならないものです。理論的なこと、体系的なことは腐るほど世の中には書物類がでているが、人が人として行動することに対しては何も論されていない。その点になると、誰でもそうであるが、個人の采配という言葉でごまかす。あとあと、トラブルが起き、文句を言い出すのはだいたいそういう人たち。
 様々な案件を抱え、トラブルが続き、スケジュールとおりに進まず、管理もできていない。できないことを並べたら、きりがないし、できることが何なのかもわからなくなってしまう。
 日本人は特に、できることは、当たり前という感覚で、できないことに問題の焦点をあわせようとするのはなぜだろうか。欧米人あるいは、近辺アジア諸国の方々の考え方とは何か違うものがあるように思えます。この反対の切り口で話を進めてみると、以外や以外、なーんだできるぢゃんという事も多くみつかる。
 芽をつぶしているのは、当の本人の要素ではなく、周囲の心の問題だと最近考えるようになりました。ん〜いい勉強。頑張ってしっかりふんばってみようかと思う。