幼児虐待について

 ほぼ毎日のように、新聞のどこかの片隅に載っている子供の虐待事件。いつもここでも書いているが、年々なんだかひどくなっているような気がするのはわたしだけでしょうか。少なくとも、今まで?(この表現はよくないと思うが)は、どちらかというと、母親が多かったが、最近は父親の関与も多くなっているように見える。
 大人になりきれていない人たちが、結婚し、子供ができ、親という職業につく。思った以上に赤ちゃんを育てるのは大変。そりゃあそうだ。自分の子供・・ということではなく『人間』ひとりを育て上げるのだ。お金もかかる。愛もいる。与えるものばかりと考えるか、与えられてるのは親の方で、成長していのも実は親なのだと考えるか。これらの分かれ目はなんであろうかと。
 そもそも『大人』という定義すら怪しいとおもう。常識がなにかもわからず、自分の行動が正か否かさえも判断できず、成熟していない、ただ単純に大きくなっただけの子供。そういう人たちが、生まれたての子供相手に判断が本当にできるのかと。
 世の中は、生まれつき難病を抱え生きることができない子、残忍な事件で命がある日突然失くなってしまう子、自ら命を絶つ子、いろいろいる。だけど、自ら産んだ子を自らの手で殺してしまうほどなら、産むことよりも産まない選択をしてほしかったと思う。
 虐待をする親は、ある意味病気だと思います。病んでいることを自らが知らない、わからない。それをセーブできる人もいない。当たり前のこととして、自分で判断し、気がついたら人様からは虐待だといわれている。多分このような経緯だとおもう。自らの人格形成の段階で、愛が少なかった場合、また子供の頃同様の体験をしている子供たちは、同じようになってしまうという。
 成長というのは、大人になるまでの親からの愛で育まれることと、成長して大人になったとき、自らがいろいろな影響を得て体験し考えながら大きくなっていく自己成長があります。自己成長力がない人は多分、すべてが親のせいなんですよね。
 子供をどう育てていくかは、時代背景からもかなり影響を受けます。けど、10ヶ月間女性のお腹の中でそだっていく赤ちゃんは、どんな時代もおんなじです。自分の子供を育てていくということではなく、もっと親も、人間を育てていくんだという気持ちがなければこれからの時代なんだか怖いような気がしています。社会が変わらないと・・なんていうのはそれこそ他人事にすぎない。対岸の火事とおんなじ。
 
 子供が、亡くなっていくのは悲しいです。小さな棺を見たくないです。