アナログ

 手紙を書く、手帳に書き込む、電話で話す、挨拶をする。
インターネット時代の到来前には、当たり前のようなことだとおもっていたことも、今では当たり前ではない。悲しいかな、周囲の若者たちの、”日本語”のボキャブラリーがないのには驚くことしきり。知らないのがかわいいのか?と思ってしまう。大学でて会社に入っても、漢字はかけない、挨拶もできない、人を敬うという神経がない。悪いところばかりではないが、そんな人たちがこれからの日本を担うわけで、正直どうなることやらと心配。
 昔もずっと同じようなことを言われてきた。私たちが若いときも同じだったが、少なくとも、文字は書くことができた(笑)
 言ってもわからないのは、言い方がよくない・・ではなく、理解する力がない。日本語の表現力以上に、言葉そのものを理解しようとする回路がないらしい。
 文字がかけないのはまだいい。パソコンがあるし調べればいい。だが、話しをしたそのままの言葉で資料をつくる。議事録をつくる。
 信じられないというしかないが、「公」と「私」の区別がつけられないということそのものが一番の問題ありか?教えればどうにかなるものか?と常に疑問符だが、教えなければどうにもならないのが事実だ。
 会社は学校の延長ではない。新卒で入社して配属されるまでの給料は、誰が生み出しているものなのか・・という観念を持っている人間がどれだけいるか。そんなことは考えられないで、起業だのなんだのといってる神経もよくわからない。
 私はきっと人材育成の職業には向かないでしょう(笑)忍耐強くやれる人がやってあげてください。