二人の女性

 昨日、図書館帰りにちょっとファミレスで休憩。珈琲ゼリーとドリンクバーだけで2時間読書。週末とあってさまざまな人が来店しておりとにかくうるさい。
 私は喫茶店でも、こういった場所でもできるかぎり・・女性二人客のテーブルの近くには座らないようにしている。なぜなら・・・聞きたくも無い話をきかされるはめになり、私の目的からそれてしまうから。
 同じ女性だが、どうしてこううるさいのかと(笑)おもってしまう。だいたい決まっている話の内容は。どうしようもない旦那の話やら彼氏の話、職場の同じ同性の話。もうキリがない。特に、なになにさんがどうした、ああした。主人はどうだのこうだの。
ストレス発散はよろし・・ですが、せっかくのわたしの時間もこんな話につきあわされていては困ってしまう。だんだん聞かされている私のほうがいらついてくる。
 一人の女性は、精神的にウツ症状なのか、精神安定剤などを飲んでいるらしく・・また病院でカウンセラー受けているらしい。それを一生懸命もう一人の女性が聞いてあげている。だが、その女性も同様な体質?らしい。
 もうこっちかウツになりそうな話ばかり。結局愚痴のオンパレードになっている。その愚痴を聞いていると・・・ひとの共通点がでてきた。
 結局自分が可愛いんだ。
ということ。そこに相手の気持ちを受け取る余裕がなく、排除する自分がいる。その自分は自分でも気がつかないが、私は私だ。他人がなんといおうと、私は自分が一番正しい。一番ただしい私にそんなに親しくもないあなたの気持ちを受け入れたくはない。・・ざっとこんな感じでした。
 ああ疲れる。聞いていて疲れる。他人を受け入れられるかそうでないかは、ご自由に。でも、だからといって相手がわたしの気持ちをわかってくれない、どうでもいいなんていうあなたはやはり病気だと私は思った。この人からいくらなやみとか気持ちとか聞かされてもきっと、解決の糸口はどのくらいみつかるのだろうか。
 本当に解決するのは、他人の力でもなんでもなく、自分自身の力だと私は思うんです。他人の力で解決する、薬で解決するのは、一手段。それを次のステップにつなげるのは、結局自分自身の力。そのための薬であり他人の力なんだと。一歩を踏み出すには、勇気がいるとおもうんですね。
 世の中自分を知る人間、理解してくれる人間なんて一人でもいればいいんじゃないですか?と言いたい。結局、みんなに理解してもらいたい、いい人に見られたい、そんな大きな夢をいだきすぎているから現実感に乏しくなる。堂堂巡りだ。地球上にいる人間すべての人があなたを理解するなんて、まずできない現実なんだということを理解することから始めてもらいたい。
 職場でも、自宅でも、旅行した場所でも、さまざまな人との小さな出会いの中で、一人だけでも自分と同じ気持ち、一人でも自分と同じ考えの人がいればいいんじゃないでしょうか?
 だれだって自分が可愛い。自分が一番でありたい。でもそんな考えって正直、無意味だと私は思います。そんなことに時間を潰すくらいなら、もっとさまざまなことを『知る』ことを実践してもらいたい。
・・・・ととなりの女性の会話をききながら思った。うんざりしすぎて本に集中できず、せっかくの私の時間はパーだ。やはりでかけるときには、音楽cdもっていかなきゃ。