塾での試験帰りの親子

 お昼ひとりで食事してると、となりに小学生の男の子とそのお母さん。どうやら試験帰りらしい。お母さん、子供の試験問題を見ながら・・
 (母)青森県のお祭りってなんて書いた?
 (息子)ねぶた・・
 (母)ねぷた、ねぶた・・どっちってかいた?
 (息子)ん〜多分、ねぷた
 (母)仙台のお祭りは?山形ってなんの祭りあるっけ?
と矢継ぎ早に質問。お母さん、ちょっと落ち着いたら?(笑)と私は一人つっこみしたい気分でした。
こんな子供たちに対して、田舎の子がいくら頭がよくてもおいつけない理由がなんとなくわかったような気がした。どうやっても、田舎の偏差値が全国平均より上がることはまずない。特に九州はよくわかる。私はこの親子をみて思った。
 我が両親から、こんなテストに関してあれこれと詮索されたことは一度もなかった。あったかもしれないが、まったく覚えていないぐらいだ。テストで何点取ろうと、そんなことは大きな話題ではなかった(笑)そんなことより、身近な話題のほうが断然食卓をにぎわせたほどだ。子供って育てたように育つといわれているがほんとにそうだとつくづく感じる。自分が親になったとき、取る行動は自分の両親とおなじだったことに気が付いた。無関心ではないが、学校のテストに何も意味を感じていなかったので。それよりも、イメージしたものを形として作り上げる息子の能力のすごさと、頭の回転の速さにいち早くきがつくことができた。紙とはさみと鉛筆とのり。これがあれば息子はなんでも作り上げる天才だとおもったものだ(笑)←半分親ばか 迷路やパズルを解くときの集中力と目の行き場の違いに絶句。この子は芸術的な面を活かすほうが断然伸びると信じた。その後カレがどんな方向に進んだか、知る由もないが・・・いつか逢えたときには、そのときの話をしてあげようとおもう。
 娘は、まだ3歳くらいだったが、音感がよかった。保育園でもよく言われたもんだ。これはきっと私に似たのかも。何かピアノとかそんな方向のことをさせたかったなあとおもったが・・今はどうしているだろうか。
・・と、今日であった親子を見ながら、10数年前に思いを馳せていたのでありました。(ちょっとしんみり)