広島

 何回夏がきても被爆者の方々が生きていらっしゃる間はその人その人の想いが深く交錯し続ける日だと想います。安易に戦争反対とか、平和主義的なことを唱えることはしたくありませんが、被爆者の方々の声に耳を傾けて、沢山の人の犠牲の上に今の自分たちが生かされているということを、やはりきちんと”理解”しておくことは、日本人として当たり前のことと私はおもっております。
 広島にしろ長崎にしろ、当時においては、他府県ではどのくらいの情報が流れていたのであろうかと考えると、それも歴史に一ページにしかならず、今にいたっても、被爆地の子供たちでしか実は学校で深く教わることはないと想います。
 小学生の夏、家族で長崎にいきました。原爆資料館などをみましたが、親も戦争についてほとんど知らない世代、ましてや原爆についての話もしたことがない。だけど、そこに連れて行ってもらったということは、何かしらの意味があったのでしょうね。感謝してます。被爆者や残された人たちの辛い気持ちをすべて理解することはできないとおもいますが、知らなければならないことは山のようにあるとおもいますね。