海上保安庁映像流出について

 テレビのニュース番組、昼間のワイドショーなんかでも毎日のように映像流出について、誰が、いつ入手して、どうやって流したかなどとワイワイとまるで芸能ニュースのように取り扱っています。ありがたいことにワイドショーなんかでは、なぜ映像をみることができたのか、どうやって入手してYouTubeにUPしたのかなどなどと細かな説明までもつけてくれています。
 さて、なんかおかしくないですかね。尖閣諸島沖での衝突の問題、映像公開の問題、映像流出の問題。一連の流れができているかのように言われておりますが、解決すべき方向性がそれぞれ違うのではないのかとおもうのですが。
 中国船との衝突についての問題、あれは船長を釈放したことですべてが終わったように報道されていますよね。皆さんあのあとはどうなったのかご存知ですか?私、一国民としてもわかりません(笑)中国に帰すだけ返して、あとはもう終わりですか?問題解決はどうなった?問題解決をするために、映像の公開は必至だということに結び付けられ、今度はその公開有無に終始徹している。
 変わった国ですね。あれだけ頭がいいらしい人たちがいるのに、なぜこうも軸がぶれてくるのでしょうか。映像公開有無の問題を解決できなければ、船長を釈放した敬意は話せないのか。事の発端をよくよく考えてみるとそんなことはわかるではないか。
 映像流出については、海上保安庁のネットワーク内での閲覧権限に終始話がいっていますが。トラブルや事故症例などをナレッジ化して、共有することはどの企業・省庁でもやっていること。誰でも見れることが問題ではなく、扱う資料・映像そのものの『公開ポリシー』ができていないということに注目しなければいけないとおもいます。社内などでの情報をナレッジ化するということは、扱う物に対しての『監査』が必要だということ、その部分の認識というより意識がまったくなかったということが問題。「情報管理が徹底されていなかった」というせりふは実は通用しませんよ。徹底しても無理だから(笑)

「根本的に、ネットワーク上に公開する、映像・資料類の監査チェック機能のスキームそのものがまったくなかった。それにより、庁内ネットワークに公開するにあたり私たちの精査ができていなかった」

と言うべきです。
仕分けをあれだけ大騒ぎしてやった割には、その後のチェックをまったく怠っていた・・というアレとおんなじこと。やるだけやって後は終わり。それだけで満足している。アフターフォローの悪さは日本人の典型的な仕事のやり方で当然見直さなければならない点。だが、これを指摘するとだいたい日本人は嫌がる。(アホや)事の大切さは成果主義とかの西欧諸国の仕事のやり方をまねて『実行することが大切』らしいが、肝心の『実行したことの結果を見据えて、よりよくしていく』という継続性にかけては、まったく不器用な日本人。

映像流出はなるべくしてなった・・といってもいいでしょう。ですが、ここもやさしい日本人。流出させた人をとがめないでくれ、なんていい出す始末。ソレとコレとは別問題ではありませんか?みんなが見たがっていたものを見せてくれた=英雄。ありえません。

自らの職務と職責には覚悟を持ってやるべきです。