学問のすゝめ

 あらためて福沢諭吉の学問のすゝめを読み直した。現代文ではなく、図書館で借りた近代日本思想大系の福沢諭吉集の文語文です。
 どうも、慶応の精神がちょっと自分に合わないと感じていたのですが、先に読んだ山折哲雄さんの著書の中に、宗教に対する福沢諭吉の考え方は、この学問のすゝめに書かれているとあり、早速読んでみた。
 簡略すれば、神仏なんぞ信じるがゆえにさまざまな争いがおこる・・という感じの言い分。独立自尊の精神は、科学的な思考の中で出来上がったものなんだと。学問のすゝめを読んでいると、単なる日本男児の頑固な言い分にしか聞こえない(笑)
 耳に飾り物などつけ、腰は蜂のように細く着飾った婦女子は、将来きちんと子どもは産めないのではないか。。云々。いまの時代だらかこそかもしれませんが、今の時代だからこそ、読みたいとはおもわない一冊かも(笑)なんておもってしまいました。
 確かに正しい部分は多く書かれておりますが、どうも私はこの方の思想は受け付けないようです。私がそう感じたのは、先の宗教論についての福沢諭吉の考え方。慶応通信をやっていておもったのだが、思想関連の科目がほとんどない。なのに、学士は哲学をもらえる。デカルトの懐疑的な思想に福沢自身も影響を受けているのも含め西洋哲学が中心の慶応に違和感を覚えるのは無理はないかと2年たってはじめて知ることとなった。
 徹底した宗教嫌い(笑)特にキリスト教に対する批判的な言葉がならんでおりました。キリスト教信者の内村鑑三と真っ向からはじきとばしてしまうような反論に、この21世紀の殺伐とした今の時代だからこそ、宗教の教えを見直すべきではないかという山折氏の言葉が突き刺さります。