自然とむきあった仕事をしている人たちって・・やはりすごいと感じる今日この頃。というのはうちの父のことだ。小さい頃からいなかったせいかあまり話しをすることもなかったのだが、仕事が港湾建設会社で船長をしていた。長年。最近は年金暮らしなので、電話とか田舎にかえったとに話をするのだが。やはり私はこの人の子供だと痛感することが多い。
海で仕事をするというのは、リスクも大きい。それは山でも空でもおんなじことだと思います。懐の大きさはやはりすごく、でも厳しさも十分にもっていなければ海でのリスクは回避できない。生きるか死ぬか。瞬間の判断の間違いで全員が危ない運命にさらされる。それをよく理解しよく実行していた人だ。家の中でも火の後始末、戸締りには未だに厳しい。この自己の厳しさはわたしも受け継いだ(笑)おおらかさというか人との関わり方がうまいのもこの職種かも(笑)
母は、頭が大変よく、何をやらせてもパーフェクト。料理、裁縫、力仕事、日曜大工、編物、お花、設計・・実はこれすべて師範級の腕をもっていた人だった。45歳で起業し、59歳で亡くなるまで楽しくて楽しくて仕方がないと話してたっけな。
実はこの二人、九州は佐賀のど・田舎でくらしていたにもかかわらず、私たち姉弟は、かなりリベラルに育ててくれた。これはとても感謝してる。かなり保守的な佐賀県で、どんどん外にださせるような育て方をしてくれた。
一つは英会話。昭和40年代に、田舎に英会話教室が唯一あった。そこに私と弟は7歳の時から通った。これは、母ができなかった夢のひとつをかなえるためでもあったらしい(笑)あとからきいたが。。ペラペラではないが、今は弟も海外出張を難なくこなしているし、私も外資系にいたときは随分と役にたった。
あと、関門海峡を渡らせてくれたこと。なに?とおもわれるかもしれないのですが、佐賀から出るということは大変なことで(笑)ましてや、当時、関門海峡を渡って本州にいくということは、特に女の子を持つ親は絶対!ダメ!の世界だったんです。ですが、うちの両親は別だ。多分別というより、変だったのだろう(爆) どんどん出て行きなさいと後押ししてくれた。
私は大阪でフリーに、のちに弟は神戸で仕事をするようになった。
育てられ方もさまざまだが、中卒の学歴しかないこの二人から学んだことはとてつもなく大きい。
『人と関わっていくためには、自分から心を開かないとだめなんだよ。だれも何もわかってはくれないよ。だからどんな人にでも、自分から近寄って相手がどんな人か判断しなさい。他人がどう評価しようと、自分で下した判断は絶対間違っていない』
この言葉は、離婚まもないころ、沈み込んでしまっていた私にくれた言葉です。父の大きさってこんなところにでるんですよね。(^^
『これからは、好きなところに旅行して、美味しいものをいっぱい食べて、いろいろな人とつきあって、楽しく過ごしなさい』といったのは、亡き母。娘が不憫だったんでしょうね。亡くなる当日の朝も、同じことを言ったきり・・眠ってしまいました。私は、あのときの母の目が忘れられない。
いまだに不思議なのは、どうしてこんなにリベラルな思想をもつことがこの二人にできたのだろうかと。
贅沢ひとつもせず、働きずくめの日々だった二人にとってきっと周囲にいた人たちもすごかったのかなと。あとは、父の言葉通りかも。うちの両親をみていると、生きるというのはこういうことかと学ぶ部分がとてつもなく沢山あります。
常に感謝の気持です。
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仕事で成功するというのはどういうことなのか?ということで読んだ本だったのだが、細かい部分で明日からでも使える項目が沢山ありました。
気品ってどこからくるのか。お嬢様なら気品があるのかというとそうでもないらしい。(笑)確かに言葉づかいや動きによってそう知らしめることは可能のようだが、やはりもっとちがうところにあるみたいですね(^^;私が今一番力をいれてるのは、手です(笑)- 作者: 加藤ゑみ子
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