長崎

 朝から芸能人の失踪・逃亡・逮捕劇にどたばたしている日本のメディアはいったいどうなってるのでしょうか。麻薬はいけいないが、芸能人だから大騒ぎしているとしかおもえません。そんなん正直どうでもよくないですか?とのっけからいらいらしている本日(笑)

 8・6、8・9、6・23。これを聞いて何それ?という若い世代がいるのであれば、大人として本当に伝えなければならないこと、教えつづけていかねばならないことが何かを見失っているようにおもえます。先日、会社の20代後半の男性が、ひめゆりの塔ってなんでしたっけ?何の塔でしたっけというせりふに唖然。社会人としてどうこうではなく、日本人としてどうかと思う。
 確かに私の両親の世代でさえ戦争の真っ只中が青春時代の人ではない。祖父母は小学校のときにすでになくなってしまっているし、戦争の話など一度もしたことがない。だが、生まれも育ちも佐賀であったため広島の原爆と同様に長崎の原爆投下の話はよくきかされていた。夏休み、家族旅行で長崎にいったときも、まずは平和記念公園からだった。両親はあれこれと言う人たちではなかったが、いま思うと、私たち姉弟が何かを感じてくれることにきっと期待していくれていたであろうとおもう。
 東京にきておもったこと。さまざまな地方の人たちが上京しているこの東京では、原爆について、核兵器根絶については他人事のように話す人が多いと感じる。それって長崎や広島のことですよね・・と。自分の身に降りかかっていない、自分の家族に降りかかっていないことであるから無関係とおもっているのであろうか。なぜあれだけ核兵器について、声を大きくしているのか一度きちんと考えてもらいたいと願います。
 確かに、広島や長崎では平和教育は絶対的なものです。なぜなら、皆同じあの暑い夏の時期に、同じ被害を受け、同じおもいを共有しつづけてきた上、皆で助け合って生き抜いたという力が根底にあるからだと私は思います。それは絶対に子々孫々と伝え続けなければならないと願っている意味があるとおもっています。
 一年に一度でいい、口先だけのpeaceではなく、日本人として考えてみて、自分なりの答えをみつけてみるのもいいのではないでしょうか。

-合掌-