1回目

 毎週金曜日、四ッ谷のカトリック麹町聖イグナチオ教会にて、リーゼンフーバー神父によるキリスト教入門講座が昨日4/9から始まりました。毎週一回の講座でその都度お話が完結できるような形で開かれるそうです。実はこの講座無料です。来年の3/25までしっかりと内容か決まっており、好きなときにお話を聞くのもよし、最初からしっかり聞くのもよし、それは自由。
 さて、なぜキリスト教入門講座を受講しようとおもったのかですが。まず第一にキリスト教とは何かを正直知らない。歴史にはでてこないことはまったくないというのに、実は何もしらない。どの宗教だってそうかもしれません。いま、倫理学を通して死生学の勉強をしているわけで、どうしても宗教についてある程度の基礎的な知識が必要とする場面がおおいです。なので、どうしても一度きちんとした話をききたいとおもっていました。入信したいからではもちろんありませんが、まず、『知りたい』気持ちを行動に移した点では、自分にご褒美とおもっています。(笑)
 第二に、イグナチオ教会のお隣は上智大学です。今月末から浅見教授他多数の先生方による、『死ぬ意味と生きる意味 ―終末医療の可能性をさぐる―』の講座を受講予定としています。同じくフーバー神父の講座もあったのですが、前提となるキリスト教の知識がなかったので、やめた次第。それも今回入門講座を受講しようと思った一つの要因です。
フーバー神父のキリスト教入門講座は、キリスト教だけに限られる内容の話ではもちろんなく、どこぞやの宗教(もどき)のように変な勧誘をするわけでもなく、ただただ人が生きていく上で必要なものはなんなのか、どうすれば善く人はいきていくことが可能なのか、という哲学的な人間の考え方をキリスト教を通して、自らあなた方が考えていく一歩にしてもらいたい。そういう講座です。
1日目のフーバー神父の話をきいてみて、そう感じ、それは普段私が考えているそのものであったのでよかったと思っています。わたしは、コテコテの仏教徒です。敬虔な信仰はないにしても、祖父母や両親からうけついでいるものの考え方や生活習慣は、仏教からうけついだものがほとんどです。なので、神さまよりは仏様が命です(大げさ)。それぞれの宗教は、どう生きればとう信心すれば成仏し天国へいけるのであろうか・・これは、どの宗教も同じこと。そこに差異はなく、あるのは歴史だけです。どっぷり宗教にはまるようなことはないのでご安心を(^^ 

といいつつも、なんだか気分がさえない、なんだか仕事もうまくいかない、なんだかもやもやした気分・・のとき、神社仏閣にいくと落ち着くのは日本人だからでしょうか。その感覚が教会にももちろんありますね。なんでしょうか、漂う空気がやはり異なる。いかに自分が過ごす毎日が人間くさいかがわかるような気がします。

受講者はびっくりするほど多かったですよ。会場60名程度のいすがほとんど埋まり、来る人来る人へいすの追加をされていました。遅刻しても、ぎりぎりになっても構わないので是非足を運んでもらいたいという神父のお話。
一回目は、信仰の道-人生の意味を問う-でした。少し哲学、それも宗教哲学寄りのお話。善とは何か。これは倫理学にもあてはまる内容。大学ノート4頁分のメモをとる私。自分が考えていたことがぴったりとあてはまった瞬間の感動ははかりしれません。来週もひとまず行く予定。