叔父逝去

 日曜日の夜に入院していた叔父が亡くなり、家族葬ですませ、遺品の整理と部屋の明け渡しのための遺品整理で慌ただしい一週間をすごしておりました。ここのところの猛暑もあり、部屋の明け渡し時には、74歳の父は汗だくでほぼ熱中症状態になってしまい翌日と本日朝まで我が家に宿泊。小倉からきた父の2歳下の叔父も泊まり、本日朝の新幹線で九州に戻りました。遺骨は、父がもってかえりました。
 亡くなった叔父は、私と15歳違いで父の8人兄弟のうちの下から3番目。父の兄弟で一番早く逝ってしまいました。享年62歳。この叔父は、中学を卒業した16歳で、集団就職により兄弟の中ではじめての上京びと。それから46年、千葉での仕事で得た友人が最後までお世話してくれました。独り身であったこともあり、ある意味寂しい別れでしたが、遺品から出てきた多くの仕事の写真、わたしたち甥・姪らの結婚時の写真などはきちんと整理されており、性格がでていました。なかでも、亡き母(私の祖母)からの手紙、私の母や小倉の叔母からの手紙など、昭和30年代後半からの分、きちんと箱に収めており、ぴっくり。父はもう捨ててもいいだろうといいましたが、私が持ってかえって納骨時兄弟が集まったときにちゃんとみせるようにと持ち帰らせました。兄弟全員が看取ることができなかった分、アルバムや手紙類はすべて持ち帰らせたことは良かったと思います。
 私の母が13年前に亡くなったとき、父の側に一ヶ月残ってくれたのもこの叔父であり、母が弟のようにかわいがっていたので、今回はどうしても時間を割いてでも行かねばならないと思っていました。最後のあえて良かったです。
 さすがの父も今回は、がっくりきたのか、年のせいもあるのか、涙ばかりみせていたように思えます。頑固者の父ですので、なんでも自分でやらないと気が済まない性格もあり、年齢以上にはりきりすぎて、カラダが追いつかず、おまけにこの猛暑。もう小倉の叔父も含めてふたりとも70を超えているため、つきあっている私も心配で仕方がない一週間でした。
 しばらくお弁当などの生活と精神的なストレスでダウン状態だったので、昨日はできるだけ栄養のあるものを作り三人で食したので、一気に眠れたようでほっとしました。
 いろいろと考えさせられた叔父の死でした。でも近くにいれてよかったのではないかと思っています。