徒然

 久々の快晴。ちょっと軽くウォーキングでもするかなあ。さて、3月に入り1週間早々とすぎてしまいました。先月リリースした案件もおちつきはじめ第二フェーズもどうにかうまく迎えられそう。手直しはあるものの、かなり余裕がでてきました。
 来期4月からの新規体制も練られ始められている模様でさてさてどういう体制になるか楽しみなところ。いろいろと抱える問題は多くありますが、どうか皆さん大人の対応をしましょうね。ってこんな事を言わなければならないのがツライとこ。
 ここ数年思うことがあります。男女問わず、35歳すぎても40歳すぎても、子供のような言い訳を平気でなさる方々が多くみられます。だって〜でも〜。これはやりたくない、あれもやりたくない。じゃあ、何だったらやれるの?と思うことしばしば。一時期どこの会社も取り入れた欧米の成果主義のやり方も、旧態依然の会社では結局意味がなく、成果というよりパフォーマンスを出せない=生産性がない 人たちが多くなってきました。80:20の法則はやはり的をえてます。自らの会社をよくしようという気持ちは、一人一人の力があるからこそできることであり、誰かがやってくれるという他人任せ主義の仕事のやり方は、結局自分たち自らの首をしめているということに気が付いていない。プロパーの座に居座ることで必死な人が多いこと多いこと。それはそれでどうぞご自由にと思う。だが、一旦切られはじめると、こんなに頑張ったのにとか言い張る輩がこの連中だ。自らの生産性なんぞ考えたこともない人が多く、よくそういう口がたたけるものだと、別な意味で感心してしまう。
 今は派遣切りどころか、正社員切りもはじまっています。だが、それにかわって反対に別会社との協力で出向者や契約社員をとりいれようとしている。それはなぜだということを考えてみるとよい。如何に自分たちが生産性をあげるような仕事をしていなかったかということだ。プロパーの中には、派遣や契約で入るひとたちを妬む人もいます。自らの能力を省みることなく、社外から人をいれることに抵抗を感じる人が多い。人間性の小ささはこういうときに現れる。見ていて痛々しい。それが40代以上の人だったらなおさらだ。焦りが焦りをうみ、毒を吐き続ける人が多い。みっともないこと極まりない。
 成果が上がらない人はやめさせられて当然だという外資型の考えをもち危機感を常にもっている人は、自らの能力の限度をしっている。その限度をしった人こそ、他人との協調がうまくとれるのだとわたしは思う。できもしないことに大見栄をきる人もいるが結局できなくて、その人のために数百万という赤字を出すことも多い。そんな人こそいなくなれです。プロパーのコスト意識のなさは目にあまるものがある。わたしたち派遣や契約社員は、常に自分がどのくらいのパフォーマンスがその会社で出せるかを考えている。出せなければ切られるからだ。対価にも響く。わたしたちが判断の間違いにより数百万の赤字を出したら即契約は切られます。
 そういう差をどう見るかだ。格差社会というが格差があるからこそ社会はなりたっているとわたしは思う。問題は個人レベルだ。一人一人が自分をどの位置におくかをどう考えているかではないかとおもう。格差の上をいくか下にいるか、這い上がるか、落ちたくないか。心一つできまるではないかと思う。
努力の方向性とやり方を間違うとそれは唯の自己満足で終わる。会社で仕事をすることは、会社員にとっては、そこから社会への貢献につながていることをもう一度考える必要性があるとわたしは思います。