責任を持つということ

 世の中には、『責任』を『持つ』ということに対して、まったく拒否する人もいるようです。社会人20数年の人が、責任を持つことにびくびくしている姿は、端から見るとまるで子供がそのまま大きくなったような感じだ。人間は小さな責任をすこしずつ抱えていきているように私はおもっているが、どうやら責任を持つことに異常なほど敏感に反応する人がいるのも事実だ。
 さて、問題はこういう人をどう扱うかだ。とにかく異常であるとおもわせるような言動がある。たとえば、自分が作成したものは完璧であると思っており、すでに完成しているとおもっている。そういう人は、他人からの指摘をまったく聞こうとしない。なぜなら、聞くことで変更修正せざるをえない状況になる。そうなると、もともと自分が完璧だとおもって作ったものに対して、人の手がはいる、人の手が入った作成物に自分は責任が持てない・・とくるのだ。なぜこういう発想になるのかが皆がわからない。確かに、初版は作成した人の文責で当然だろう。だが、それを協議して他者の意見をいれたのであれば、何も悲観することはないはずだ。だが、頑としてきかない。自己防衛に必死で、あれこれと難癖つけて、私はやりたくない、気に入らないとまるでガキのようにだだをこねる。かといって、本人の初版だと、価値がないのは誰しもがわかる。最終的には上長の責任ということで折り合いがつく。なんかあほらしい協議だが、世の中にはこういうひねくれ者というか変な人もいるのだ。こんな人は、自分の小さな世界での責任に必死だが、他人もつ責任へは難癖つけてくるから問題だ。よくそんな面でいえたもんだとおもうが、もうここまでくると、ご本人さま病気ですか?といわざるを得ない。
 ひとりでお仕事なさってくださればいいのに・・とねがうものの、そういう面では会社依存人。手のうちようがない。神経すり減るのは周囲だ。私はそのうち、こういう人は楽なほうへにげる傾向にあるのだと発見した。だから、文句言わない人とよく話をし、またそういう人を必死でさがしている。ある意味滑稽だ。
 正直面倒くさい人間を相手するのはごめんだと考えている人間なので、ここいらで捨てちまうことにした(笑) 11月、年の瀬間近といってもいいだろうが、ちょうどいいかしらね。
この病欠での3日間でいろいろな物が見えたような気がしてなんだか頭がリフレッシュ!された感じはいまだにあります。頭の使い方をマスターしたからよかったかな?爆

さあ次にすすもう!

★ぽちっとな★
にほんブログ村 OL日記ブログ 40代OLへ
にほんブログ村