水俣展(御茶ノ水〜明治大学、駿河台校舎〜にて)

 9/4〜19日まで開催の『水俣・明治大学展』に行ってきました。以前より開催を待っていたので大変楽しみでした。平日の方がいいだろうとおもって本日行ってきましたが、小学生の課外授業でしょうか、先生とともに多くの小学生が見聞きしていました。
 真っ昼間に(笑)御茶ノ水に到着し、てくてく、アクセスは御茶ノ水駅の方が俄然近いかも。明治大学内でも、アカデミーコモンというビルの方なので、神保町側からくると少しばかり遠いですね。
環境問題が取りざたされるようになって、どのくらいたつでしょうか。世の中は目に見える形での環境に優しいエコ対策などといっておりますが、公害問題はすでに過去のことのように捕らえられている部分もおおいようです。
 私は佐賀の出身なので、水俣といえば熊本、八代海ということをよく理解していますが、意外に知られていないことも確かです。初めての水俣病患者第一号と認定されたのは1956年とされていますが、昭和30年代初めです。同じ九州でおこったことに対して、子供のころから社会科の授業には水俣病の話もよく聞かされておりました。子供のころの記憶は、公害と症状の関連しか理解しておりませんでしたが、いまに続く訴訟問題なども時折メディアを通して知ること以外、自発的に考えることすらなかったと想います。
 今回、この水俣展について知ったのは、大学の生涯教育の講座を調べていたときでした。明治大学のサイトでこの水俣病についての大学展があるとのことで大変関心をもち、一通りの書物を図書館でよんでみました。加害者側の本、被害者側の本、弁護士や元国家官僚の本など、多くの観点から水俣病について、そして訴訟問題などが書かれており、正直わからなくなったのも事実でした。
 本日、足を運んでみると、このたびの展示会のサブタイトルにかいてある『環境・人間・社会を考える』という意味が大変よく理解できるような構成でした。
 私は公害問題というのは、最後に見えてくるのは、<人間のエゴ>だけだとおもいます。水俣病の発生原因はチッソが生産し続けた活動そのものによるものだというのは、誰しもわかることですが、その背景には、チッソの生産活動をとめることができなかった国の思惑があったことは否めません。そこには、利益追求の企業と国の産業施策のタッグがあり、多くの犠牲者をだしたにも関わらず、これらの小さな組織と国という大きな組織が狭い視野で考えだした結果にすぎないということです。国だけではなく、身近な医者たちさえも、本来助けるべき患者を見捨てるような行為に走ったことも知りました。
 そして、当時は、奇病、伝染病といわれ、極貧の中それ以上の差別を受けて死んでいく人が多かったことを知り、展示会では、その匿名による水俣病患者への非難・差別のはがきなどの展示もありました。水俣病患者の人たち、その家族たちは何を欲したのか、ただただ患者認定を望んでいたわけではないと想います。多くの認定されないまなに極貧の中死んでいった自分たちの親・兄弟・知人らのことを知ってもらいたいということのみだったのではないかと。
 環境問題を問うとき、同時に人間の物事の考え方や倫理観がいっそう重要だと想っています。人間が苦しみながら死んだ意味、苦しみながらも生きている意味をもつと真剣に考えるきっかけになる展示会です。水俣病という病気そのものを理解する、なぜそうなったか、なぜチッソは生産活動を停止しなかったか、なぜ国は被害者の心情を察せず早々に見切りをつけようと稚拙な対策しかかんがえられなかったのか。様々な観点から考えることができる展示会だとおもいます、昭和30年代以降、高度成長とともに産業が盛んになりはじめたころにおこった、九州の小さな漁村での出来事をのぞいてみてはどうでしょう。

以下・・すばらしい本です。

水俣病誌

水俣病誌

川本輝夫氏の本です。この方の水俣病への想いがびっしりつまった一冊です。少々高めですが、大いに価値あり。被害者側のリーダーとなりチッソ歴代社長に食いついて行動したリーダー的存在の方です。文筆力と細かい状況描写がすばらしく、人柄を想わせる文章です。是非機会かあればどうぞ。